
先日、レイキセミナーを受けに来られた生徒さんから、
「ノエルさんは、レイキをはじめてからから何年がたつんですか?」
と聞かれたので、サロンに貼ってある修了書を見ながら、
「9年ですね~」
と答えたら、生徒さんは私がレイキマスターを取得してから8年がたつことを知っていて、
「あら?マスター取るの 早かったですね~」
と、さも私が優秀な生徒であったかのような目で見られたので、慌てて 優秀ではないこと、どちらかといえば問題児で、いろいろと失敗があったことなどを話し、レイキマスターの取得を考えるのであれば、時間をかけたほうがいいことをお伝えしました。
8年といっても、たかだが知れている時間です。その中での経験もまだまだ浅いでしょう。
今でこそ、そんなふうに言えますが、レイキを始めてまだ何も知らない 経験を今よりもしていない頃は、なぜか、自信たっぷりに「経験ありのマスターです!」的な、発言を私はよくしていました。
今、思えば恥ずかしい限りで、当時の自分が話していたことを思い出すと、顔が烈火の炎で大やけどしそうです(笑)。
なぜ、そんなことを急に書き始めたのか、というと、生徒さんたちを見ていると、自分の失敗ばかりだった恥ずかしい過去を通して、その生徒の中にある 焦りや不安が見えるようで、さらにそれは、自分の背伸びをしていたレイキマスターとしての過去を、おさらいさせられているようでもある ということを最近、経験したからです。
ヒーリングを学び始めた頃、2年か3年目ぐらいがちょうど、この不安や焦りを感じやすいとき なのではないでしょうか。
勉強をしてある程度の知識が頭に入ってくると、多少の自信と経験が身につき、サロンやイベントで実際にクライアントにヒーリングをして差し上げると、とりあえず、いい反応がかえってきますよね。
ヒーラーと名乗っている人の前で
「あなたの施術はよく分からなかったわ」とか「ヒーリングされたかどうか分からなかった」
といえるような人というのは、そうそう いらっしゃいませんから、
たいていの人が未熟なヒーラーに施術されても
「よかったです~癒されました」と、言う方がほとんどでしょう。
実際、友人から聞いた話なのですが、お友だちがヒーリングを始めたというのでお付き合いで施術を受けたけど、よく分からなかった そうなんです。でも、感想を心待ちにしている友人の顔を見たら本当のことは言えず「癒された」と言って帰ってきたと言うんですよね。
ヒーリングのことがよく分かってくると、「癒されなかった」と言われたとしても、それは自分の腕が未熟である と言えるようになりますが、最初の頃と言うのは、薄いガラスのような自信しかありませんから、クライアントから「癒されなかった」つまりは、NOを突きつけられると 粉々に砕け散ります。
砕け散り、落ち込み 反省をし、じゃあ次はもっと頑張ろうと!と、今の自分に出来る施術に磨きをかけようとするヒーラーは成長します。
けれど、そこで砕け散った自信や心の傷をなかったことにし、自分の体面を保つことだけに意識を向けてしまうと、あっという間にヒーリングの道からハズれてしまう。
私の経験で言うならば、私は まったく自信がなかったですし、不安と焦りでいっぱいでした。焦りは サロンを開いたけれど経営がうまく回らない というところから、不安は経験のなさから。
でも、この不安や焦りを、私の場合は自分の未熟さゆえからきている と現実を直視できなかったために、不安や焦りを押さえ込むために、手っ取り早く成功できる道を模索しはじめたんですよね。
もちろん、当時は無我夢中でしたから、焦りを押さえ込むためにやっていること とは感じず、ヒーラーとしてサロンを持ったのだから当然のことをしている と思っています。ここが自分に都合のいい言葉しか聴けない状態である と言えるところで、実際に、その当時は私に厳しいことを言ってくださっていた人の言葉には耳を貸さず、甘いことを言ってくれる人のことだけを聴いていました。
ここのブログで記事を書くといいよ、そうすれば成功する。そこには書き方もあって.....なんてことを教えてくれる人もいました。
成功する と言う言葉は焦りや不安を持つ私には馬にとっての人参も同じで、ヒーリング以外のことを必死になってやります。そうすると、そこそこの成功できたりするんですが、あくまでもそれはヒーリング道 レイキ道にとってはある意味 偽物の成功ですから、そう長くは続きません。
本来なら、ヒーリングの腕を磨くほうがいいのですが、自分の腕にはめもくれず、ひたすらブログを書く。しかも自分を誇張して。できていないことも 出来ている風に仕上げて書く。
私は作家だったという経歴があり文章が書けたので、お手の物でした。
熟練のヒーラー レイキマスターが当時の私を見たら、私は透明なガラスのように その中身は丸見えだったでしょうね(笑)。たとえ、どんなに巧みな言葉と文章で書いたとしても、経験を積んだヒーラーやレイキマスターには通用しませんから。
中身のない ぺらぺらの私が冷や汗をかきながら体面を保とうと必死になっている、ある意味 滑稽な姿が手に取るように分かっていたと思います。
その滑稽だったであろう(先生方に言われたことはないですが)自分の姿を、生徒に見ると、なんともいえない気持ちになります。
このままいけば、私と同じ痛手と苦労を味わうだろうと言うのも分かるし、その根源が焦りや不安からきていること。じっくりと自分に磨きをかければいいだけのことなのに、周囲の声や情報に振り回されて、自分のヒーリング道 レイキを見失っていることも。
でも、私はその生徒に アドバイスができません。
正確に言えば、あえてしていない ことがほとんどです。
なぜかといえば、私がズレた道を歩く経験をして、苦い思いも痛手も、たくさんの反省をしたからこそ見えてくるもの、得ることがあることも分かっているからです。
レイキマスターとしては、当然、ハラハラします。
大丈夫かなぁ?と心配にもなります。
今すぐに手を差し伸べて、そっちはダメ!こっちを歩いて!と言いたくなります。
でも、当時の私が先生方から心配され、ときにはハラハラさせながらも、ぐっと我慢強く見守ってくれていたからこそ、今の自分があることが分かるから、本当に奥歯をかみ締め、生徒の中にある良心とヒーリングの精神を信じて待っています。
ようやくマスターらしいマスターになってみると、過去の私がほんとうに幼稚で危なっかしくて、でも、必死にもがきながらも前に進もうとする姿が可愛らしいと思って見られていたことがよく分かりますが、それ以上に、先生と呼ばれる人たちの生徒を教え 成長を促す我慢強さや辛抱、努力が痛いほど分かります。
ある意味、無残な恥ずかしい過去を持つ私ですが、ひとつだけ 自分にとって救いがあったことだけ書かせてくださいね(笑)。それは同時に、ひょっとしたら道をハズしている?と思われたあなたの救いにもなりますから。
それは、昨年の11月に河本先生の元で受けたグランドマスターコースで学んだ、レイキ道という言葉でした。
レイキもひとつの道であるということ。
レイキを持ったそれぞれのヒーラー マスターは、自分のレイキ道を歩いていく。そこには石ころや花もあれば、行く手を阻む壁、甘い誘惑をしてくる周囲の声も聞こえてくることもあるでしょう。そんな道です。
こんな恥ずかしいマスターとしての過去を書けるマスターは、さほどいないと思うのですが、それをなぜ あえて書いたといえば、この道 レイキ道を伝えたかったからなんです。
それは、道があるから救いになるよ ということではありません。
道は甘いものではないですから、都合よく自分を助けてはくれません。
ただ、その道は、自分自身 なんです。
あなたが選んだ、あなただけの道。
私は私が選んだ道で、ものすごい数の失敗と痛手と、出会いをしました。
一度は、なぜこんなことをしてきたのか、と反省し、真っ暗になるほど落ち込みもしましたが、ある生徒が、そんな反省をする私を見て、
「そうやって、あけすけに話をしてくれるから私は道を誤らずまっすぐに歩ける」
と、言ってくれたんですね。
私の言うことが、その生徒にとって薬になるのか 毒になるのか 私には分かりません。
でも、その言葉を聴いたときに、自分の文章力の高さと表現力を活かして、こうやって表現することも、私もレイキ道なのではないかと思ったからなんですよね。
幸いに、自分の手ひどい失敗や過去を人に話すことは、さほど苦痛ではなく、セミナーなどでは笑い話にして生徒に伝え、私と同じことはしないでね、と話すこともあります。
生徒は、面白いことをいうマスターだなといった表情で、私の失敗談を笑ってくれますから、これもまたひとつのネタと思ってお伝えをしています。
レイキマスターとしての道、ヒーラーとしての道を歩く中で、恥ずかしいと思うような勘違い、間違い、失敗があるかもしれませんが、おそらくそれらを全部含めて、自分自身なんです。その部分だけを切り取ったり、消すことはできません。自分自身を丸い円だとすれば、一部分を切り取ってしまえば、美しい円は完成しません。
だからといって、人にそんな恥ずかしい部分を人に向かって話さなくてもいいですが、きっと、恥ずかしい!こんな過去は見たくない!と思うぐらいの経験は、ものすっごい美味しいチーズのようによく熟成されて、自分だけの道を彩ってくれますから。
それだけはなぜか、自信持っていえます(笑)。
レイキを持った人の数だけレイキ道があって、そこに善も悪もなく、レベルの高さも低さもなく、それぞれが学びたいことを学び、ただひらすらに 平行線を描いていくんでしょうね。
どんなレイキ道を歩き、どんな道を描いていくのか。
それは、自分自身が決めること。
私のレイキ道も、生徒のレイキ道も交わることのない平行線を辿りながら、成長という直線を描いていきたいなと思ってます。