
月のブログの中で、割とよく読まれて記事が、この記事 でした。
「自分を変えたいと思っているあなたへ」5月2日にアップしています。
ちなみに、次によく読んでくださっているのが、こちらの記事。
「レイキマスターとしての過去 反省編」
なかなかイタイお話なのに、読んでくださってありがたいことです。
どの記事も過去に関わることでしたが、先月はわたし自身が過去と向き合う時間を多く設けていたこともあって、ブログにする記事も過去に関わることが多くなりました。
以前、作家をやっていた頃、私は本のタイトルを考えるのが苦手で、何度も何度もボツを食らう経験をしていますが、そのときに担当の編集者から、「タイトルはけっこう大事なんで!」という話を打ち合わせのたびに聞かされていました。
タイトルは記事の内容を示すものですから、本でもブログでも大事ですよね。
そこから推測するに 先月 読まれていた記事は、このタイトルに惹かれて方も多かったのではないか と思われ、そう考えると、自分を変えたいと思っている人が多くいらっしゃる と思ったんですよね。
そこで、私のことではありますが、自己成長のヒントになればと思い、私のやり方を今日の記事にしてみますね。
意外に思われるかもしれませんが、私は自分を変えたい と明確に思ったことはありません。
それはなぜかといえば、自分の内面にある 邪魔と感じる要素や、嫌だと思う癖のようなものを感じると、徹底的に内観をして洗いざらい表面化し、なぜ、これを嫌だと思うのか 邪魔と感じるのか を自分に問いかけ、解決の糸口を探しだす ということを自然とやってきたから、変えたいと意識することがなかったんですね。
いつから、こんな面倒なことをやりだしたのかハッキリと覚えていませんが、両親が不仲になり離婚があった年、14歳の頃に「自分とは何者だ」と思った記憶があり、そこから自己の探求がはじまたことは覚えています。
家庭という自己のよりどころ、基本となる部分が崩れたことで自己を肯定できる空間も要素もなくし、自分に対する否定からスタートしていった徹底的な内観は、作家という特殊な仕事をさせえもらえたという恩恵と、ヒーリングに大いに役立っているという得をもらってはいますが、20歳のときから一緒にいる主人からは、「生きづらそうだなぁ」と言われました(笑)。
まあ、確かに自分って何者なんだ!と深く考え込む人はそう多くはないと思うので、私はマイノリティの自覚はありますが、時にこの徹底的な内観が 生徒やクライアントから「役立ちます」と言われることがあるので、それを少々 公開しましょう(笑)。といっても、役立つかどうか分かりませんが、ご自分を変えたいと思っている方がいらっしゃれば、参考にでもしてください。
「内観、とはいうけれど、どうやってするの?」
と、生徒から聞かれたことがあります。
私には、常にやっている普段のことなので、どうやって・・・?と一瞬、戸惑ってしまいましたが、まとめてみると私がやっている事とは、こんなことです。
自分の感情に意識を向ける。
そのなかで、不快という感情には特に注意を払う。
例えば、人間関係での場面。
何かの集まり・・・ファーストノエルは主婦の方に多く利用していただいているので、子供の学校の保護者会に出たとしましょうか。
そこで、数名の人たちと挨拶したり、話をしたり、顔を合わせる程度ぐらいの人がいる中で、別に話をしたわけでもないのに、なんとなくあの人は嫌だなぁ、と思うときってないですか?
特に理由はないのに、嫌いだと思う。
自分とは波長が合わないだろう と思う。
この嫌だと思う感情。これを見逃さないで欲しいんですね。
特に話したこともないのに嫌だと、なぜ思ったのか?
見た目なのか、話し方なのか、なんとなく自分に合わないと感じたのか?
自分の中で感情の波がたつんですね。だから、理由もないのに嫌だと思う。
嫌だなと思う人がいるというのは ある意味自然なことですから、そのまま、嫌いなんだー!と思ってそのままにしてもらってもいいのですが、自分を変えたいというお気持ちがあれば、ここでちょっと踏みとどまって、
「なんで、あの人が嫌いと思ったんだろ?」
と、考えてみる。
これが私がやっている内観です。
快の感情というは、そもそもが心地よいこと 嬉しいことなので、その感情を味わったり 追いかけていくことは楽なので、誰もが出来ることです。
家でゴロゴロしているときが私は幸せを感じる→それはなぜ?→「家が自分にとって居心地いい場所」→家族は私に優しい→そんな家族が好き→大事にしてくれる家族、幸せを与えてくれる家族に私も優しくしたい→今夜の夕飯は頑張っておいしいもの作ろう→それって楽しいことだ!
といった具合に追いかけるのは、気分的に楽ですし、割と答えが出やすいことです。
でも、不快の感情というのは、それを感じるだけで不快なわけですから、追いかけるのは非常に苦しいです。できるなら忘れたいと思うことでしょうし、実際、多くの人が忘れる努力をして 振りかえることはしません。
私はこの 人がやりたがらないことを、率先してやるので、マイナスの感情から得たことをベースに小説を書いていましたし、ヒーリングという臨床の場に活かしています(とはいえ、最近までそれをしていることに気づかなかったという落ちがありますが(苦笑))。
例えであげた、あの人がなんとなく嫌い というのを追いかけていくと何が出てくるか?というと、それはおおよその場合、自分の好きになれない部分 というが出てきます。
嫌だなぁと思った保護者が、大勢の保護者に話しかけられたり 人気者のように見えて
「なに!?あの人!こんな保護者会程度の集まりで調子に乗って!べらべら喋ってうるさいわ!」
なんていう心の呟きがでてきたとしましょう。
もしくは、とてもきれいな若々しい奥様で、その容姿に対して心の呟きがでるかもしれません。
「若作りして!見栄っ張りなんだから!」
みたいな言葉が出てくるかもしれません。
普通は、ここで止まっちゃうんですね。私はこうこう こういう理由であの人が嫌いだ で思考がとまります。
でも、そこをあえて追いかける。
「なぜ、嫌いなのか」は、心のつぶやきに出ていますよね。
「調子に乗っているから、きれいだから。若作りしているから」
実はこの中に、自分が望んでいるものが含まれているんです。
私も調子に乗ってみたい、きれいになりたい、今よりも若々しくいろんな友達を作りたい!
そんな願望や、自分を変えたいと思う要素が出てくるんですね。
きれいになりたい(願望)けど、今の私はきれいじゃない(変えたいと思っている要素)
調子に乗ってみたい(願望)けど、今の私はリズムに乗れていない(変えたいと思っている要素)
といった具合でしょうか。
また、無意識に無理をしている人にとっても、不快の感情を追いかけることは、無理にストップをかけるので有効です。
仕事に行くと なんだか気分が悪い。
一緒にいても楽しい 幸せと思えない恋人。
遊んでいても 楽しいと感じずむしろ気を使ってしまう友人。
不快と思っているということは、自分の本心ではない 望んではいないことだからこその反応ですよね。それでも、会ったり 遊んだり 出かけたりする。それは自分を無視して無理をしている ということですから、不快と思う感情に出会ったときは、とりあえず立ち止まって、いったいなにを不快だと自分は思っているのだろう、と思考するんです。
これが、私が数十年とやっている内観の方法です。
人から教わった記憶はないので私は自然とやっていたようです。それもすべて、自己を否定するところからスタートしているので、主人が「生きづらそう」と思っていたのも頷けます(笑)。ただ、まあ環境に迫られてやったことでしょうけどね。辛い状況でしたから、そのなかで自己を見出すには、自分を苛め抜くしか方法が思いつかなかったのかもしれません。
数年前に、私がやっているこの方法を友人に話して、嫌だと思うことを紙に書いてみたら?と言ったところ、その友人は実際に紙に書いてみたのだそうです。そしたら後日、「書き出したら、すべて自分の嫌いなところだった」と言っていました。
この友人は会社の上司が嫌いで、会社に行くことがストレスだったそうなんですが、紙に書き出してみたらすべて自分の嫌いなところだったと分かり、それを問題解決の糸口にして見事に自己の成長を遂げていきました。そしたら嫌いと思っていた上司が好きになれたそうですから、ほんとうに他者とは鏡なんですよね。
私は今も内観を続けています。
やりすぎて、頭の地獄に落ちることもありますが、だからといってやめる気はなぜかありません。
あいからず、主人から「生きづらそうだね」と言われてますが、それでもやめる気はない。
過去を振り返ることも内観のひとつです。もう過ぎ去った出来事の中に置いて来た 不快という感情。それらと向き合うことは 無意味かもしれないし エネルギーの無駄使いになるかもしれないけれど、なぜだか やめられませんね・・・・マゾなのかも(笑)。
自己探求 自分を変える方法は、いろんな方法があります。
以前にブログでお勧めしたレイキも方法のひとつになりますし、チャクラヒーリングで、チャクラのバランスを見ることで、今の自分がどういう状態なのか?を知ることもヒントになるでしょう。
もし、自分を変えてみたいと思ったら、まずは、自分に合うものを探してやってみる!に尽きると思います。
行動は現実を変えますから。
Let`s try!
レイキセミナー&チャクラヒーリングサロン
ファ.ーストノエル
www.rie-noel.com