承認欲求とヒーリング まずは自分癒しから。

セーファーウタキから見える久高島
セーファーウタキから見える久高島

心の痛みやトラウマに関わる経験というのは、同じ または似たようなことを経験し その痛みを味わった人とは そこに言葉が必要ないほど理解が出来る、共感できるということがあります。

私の場合は、10代で両親の離婚を経験しているので、思春期の多感な時期に 両親の離婚を味わった大人や、実際に今、それらを経験している子供が持つ独特の雰囲気をすぐにキャッチすることに優れていると思っています。

地域の行事や子供の学校行事などで、名前も知らない子供たちと同じ空間にいる機会があると、過去の私とよく似た雰囲気を持つ子供がいると、似た痛みや感情をその子も味わっているのではないかと思うと、切なさがこみ上げてきます。

しかし、この切なさは、その子供が持っている切なさ ではなく、自分自身の切なさや痛さと気づいたのは、実はここ最近のことでした。

自分に対して癒しが必要である というのは、レイキに出会った当初から分かっていたことだったし、現在に至るまでに受けたヒーリングは様々です。いちばん強く、過去のトラウマから遠ざけあれた、ある程度の決着を見たと思ったヒーリングは、ヒプノセラピー。三回受けたうちの三回目で、私は両親にまつわるトラウマと対峙し、心の整理をしました。

実際に整理はできていたのだと思います。

父はこうこう こうだったから、こうなったのか。母は、こんな思いを持っていたから、こうなったのか。と、ふわふわ形を持たない感情を 左脳が理性をもって私の中に落とし込んだのは、ヒプノセラピーがきっかけでした。

「やれやれ、これで終わった・・・」

と、私は思ってました。過去のトラウマに引きずられるのは本当に嫌ですからね。

でも、実際には終わっていなかったんですよね。

言ってみれば、木の幹についた虫は除去できたけど、そこから分かれて伸びる枝についた小さな虫はまだ残っていたと表現してもいいかもしれません。

それに気づいたきっかけは、それこそたくさんあり、しかも細かいので、ここで書くことはむずかしいのですが、小さな虫・・・まだどこかに残るちいさな過去の傷や置き去りにされた感情に気づくのは、それらのトラウマとリンクされたものや人に触れたとき でしたね。

私の場合は、音楽がいちばん強くリンクされているので、辛い状況にあった10代に聴いていた音楽や音に触れると、辛い記憶が蘇り、感情が思い起こされ、そこにまたストレスを感じ・・・の繰り返しです。

しかし、それとは別に、気がつかせてくれるもの。
ストレスとして繰り返す中で、あれ?これっておかしくなかなぁ~と違和感として覚える自分の姿。違和感という言葉がぴったりくる気がしますが、とにかく、自分ではないような自分の姿が見えたときに、「トラウマってすっごい影響ありまくりじゃん!」と愕然とし、がっかりし、その情けない自分と対面したとき、実はヒーリングが起きるのだと最近、気づきました。(とはいえ、今の段階で思っていることなので、この先にはまったく違うことを言うのかもしれませんが)

承認欲求という言葉を聴いたことありませんでしょうか?

心理学用語になりますが、自分を承認してほしいという欲求のことで、聞いたところによると、実はヒーリングの世界でヒーラー セラピストをしている人ほど、実はこの承認欲求が強いと言われているそうです。

私は、幹だけでなく枝の細かな部分までトラウマという虫たちに侵食されていましたから、当然のごとく、ヒーリングの世界に入りました。
最初は自分のため であったはずなのに、そのときの出会いやタイミングからヒーラー セラピストと名がつく仕事をするようになり、言ってみれば、自分は自分をヒーリングできていると勘違いをしていた、または見誤っていたんですよね。

ヒーリングの仕事は、承認欲求を満たすには最高の機会です。

「ほら、私って人を癒せるのよ~すごいでしょ~」と。

ヒーリングをして差し上げて、クライアントが元気になったりして感謝の気持ちを伝えてくださったとき、または自分の仕事を周囲の仲間がほめてくれたとき、ヒーラー セラピストの承認してほしい欲求は満たされますが、

 

こういった承認欲求がヒーリングの現場で起きたらどうなるか・・・・。

ヒーラーは、癒しではなく自分を満たすために行っていきますから、当然、そのクライアントさんにそばにいて続けてほしくなりますよね。クライアントさんにヒーリングをすればするほど、自分の欲求が満たされる。しかも、ヒーリングという、はたからみて良いこと 優しい人と思われることをしているわけですから、さらに承認欲求は強く満たされ続けます。

これは、ヒーラーとクライアントの間に依存を生みますから、クライアントは癒されるためにヒーラーの元へ行っているのに、ヒーラーは自己の欲求を満たすために行ってますから、ヒーラーの元を卒業できないんですよね。

ヒーリングサロンを商売と考えた場合、この依存はお金を生むことになるので嬉しい事と思うかもしれません。が、これって本末転倒なんですね。

人を癒したいと思ってヒーリングをはじめたのに、いつのまにか、自分を満たすことに専念し始めているわけですからね。

 

私がヒーリングを始めたきっかけは、自分を癒すため でした。

こうして今でも、癒しが必要な傷や感情を見つけると、まだまだ癒しが必要だし、私の中に、他者からの承認を求める 承認欲求があることも感じています。

ただ、私は幸いにして、依存に対してかなり厳しい目を持ち 依存の怖さを教えてくださった先生方がいたため、ヒーリングの現場で依存を生むほどの承認欲求が働くことは最小限に抑えられたかな、という気がしています。

けれど、承認欲求があること、そしてそれはプライベートなところで顔を出すことを認識しているので、ヒーラー セラピストとしての精神はまだまだ初心者と言わざる終えません。

私が他者に感じる痛みや切なさは、私の中に存在しています。
その痛みや切なさは、不安や恐れから生まれ出てくることが多く、自分がいる場所で大安心をして立つためには、不安や恐れと向き合い、自分と話し合い、見つめなければなりません。

この過程こそがヒーリングであり、癒しなんだと気づくのに、それはそれは多くの時間を必要としましたが(苦笑)気がつけてよかったと思っています。

まずは、自分癒しです。自分を癒したという過程、経験が他者のヒーリングに繋がるという事実に確信が持てましたね。ほんとうに今頃ですけどね。

そして、それらの自分の経験がヒーリングの現場で クライアントや生徒に還元されることを、私は知っています。先輩方 先生方がそれらを身をもって教えてくれたんですよね。

癒し、ヒーリングと一言で言いますが、そこには深いものが流れています。
その事実に気づくこともまた、私にとっては大きな癒しとなりました。

ヒーリングとはまさに 道 ですね。

 

 

 

 

 

 


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