自己変容も癒しも 他者から強制されるものではない

沖縄のとあるカフェから見える海
沖縄のとあるカフェから見える海

最近、プライベートでちょっとびっくりするような浄化や意識の変化が起き、そういったものと約10年近く付き合ってきた私でも、ちょっと慌てました。

浄化への反応も意識の変化やそれに伴う浄化も、私が何とか受け止められたのでよかったですが、受け止められない場合というのは それは怖いことになる・・・と思います。

 

無理やりに開いてはいけない扉がある

以前、パートで働いていた知的障害者さんが暮らす施設は、日本の中でもかなり珍しいと思うのですが、精神分析を取り入れた方法で利用者さんを支援していました。ですので、臨床のなかで人の心と向き合うことが日々行われていて、私自身もとても勉強になった今でも大事に思っている場所です。

その施設の中で実際にあったことなのですが、とある女性の利用者さんが、特定の特徴を持つ人と特定のものにだけ、激しく反応してしまう ということがありました。

激しい反応というのは特定の特徴を持つ人と物に対しての攻撃や怒りで、一度、それが起きると大騒ぎになり、おさめるのが大変なぐらいでした。

どうして、ああいった反応をするのか?という問いへの結論としては、過去に とある人物から虐待を受けていたのではないか?というものでした。実際に彼女の子供時代を調べてみると虐待があったのではないかと思われる出来事があることが分かり、その推測はおおよそ当たっているであろうという見解でした。

当時の私は、まだまだ未熟者でしたから、彼女がそんなトラウマを抱えているなら、それを解消しよう!自己開示をしてトラウマを消してしまえば、怒りや攻撃性といった問題行動がなくなるし、彼女にとってはそのほうがいいだろう!

と、思ったに違いありません。

でもこれは、正直、間違いだと言えます。

その理由のひとつとして、問題行動というのは そういった行動を取る本人も、また支援者にとってもやっかいなもので、問題行動が解消されればどんなにいいか と思うのは当然のことでしょう。認知症の徘徊や物への執着なども問題行動とされ、それがなくなれば、支援者としては支援がやりやすくなります。

しかし、問題を与える行動だからといって、問題行動が起きた理由や原因を探らないままに解消するということは少々 乱暴に思えます。問題行動というのは、本人がやむにやまれず起こしたこと、見えない理由や原因、心に気づいてほしくて起こした発信とすれば、やはり、その発信は受け止めてあげたい。それはコミュニケーションの一種と思えば、どうしてなのか?聞く耳や態度をとることは重要なのではないかと思うのです。

さらには、問題行動を起こした人の許可も必要でしょう。トラウマを解消するかどうか、浄化させるかどうかは、ご本人が決めることですからね。

そして、もっとも大事なのは、問題行動というのは表面化していても、それらが起きている理由や原因をご本人がまったく知らない、自覚していないということがあります。

問題行動は発信だと考えた場合、それは、問題行動の元となるトラウマなり記憶なりをなんとかしてほしい、癒したいということだと言えますが、だからといって、そのトラウマや記憶を再び本人に認識させるかどうかは、その方がそれらを受け止められるかどうか?受け止める覚悟があるのか、といったことに関わってくると思うんですよね。

ヒーリングをしていると、その人が持つ症状に対する体の反応や心の反応が出てくることあります。あまりにも強い好転反応は逆にストレスになることもあります。私のように耐えられるのならいいですが、そういった人は滅多にいないでしょうから、ヒーリングといっても、ヒーラーの経験値から ヒーリングをする深さなどを考えて慎重に行わなければいけないと思っています。

 

今、心を扱う職業が増えていますよね。自己啓発系、ヒーリング、スピリチュアル系など、インターネットで検索すれば、どんな田舎でもひとつやふたつ、スクールやセミナーが出てきます。

それほど需要があるということだと言えますが、だからこそ、心を扱うことを仕事としている私たちは慎重に、注意を払って行わなければと思っています。

まして、自己開示となればここは慎重に、ほんとうに慎重に行わなければなりませんよね。

本音や本心を言ったからといって、問題が解決するわけではありませんし、本人が受け止められないトラウマであるなら、そこは開かないほうがいい。

実際、働いていた施設では、虐待といったトラウマを抱えていそうな利用者さんが他にもいらっしゃいましたが、園長からは、そこは触れてはいけないと教えられていました。支援する側がひょっとしたらトラウマがあるのでは?と気づいたとしても、本人が受け止められる状態でない場合や、トラウマを解消したいと思っていなければ、そこはもう聖地と同じで他者が触れていい部分ではないんです。

「あなた!あなたのその部分、癒したら素敵になるわよ!その部分を解消したら、もっと輝きだすわ」

といった言葉は、単に他者の人格を無視した余計なお世話であることを、心を扱う職業についていると自覚しているのであれば、理解しなければいけないのではないかと思います。
そう、誰しも勝手に開いてはいけない扉があるんです。

 

自分を変えたいか、変えたくないか。

癒したいのか、癒したくないのか。

輝きたいのか、輝きたくないのか。

 

それは、その人自身が決めること。それこそが人間に与えられた”自由”であり、選択をするという楽しみと喜びです。

サンクチュアリに繋がる扉は、自分自身が開くもの。

ヒーラーは扉を開こうとドアノブに手をかけたその人の背中をそっと押す役割を担っているのかもしれませんね。

 


レイキセミナー&チャクラヒーリングサロン
ファ.ーストノエル
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