
人と比べることは 不自然なこと
生徒さんやクライアントさん・・・または、おなじようにヒーリングを学んできている仲間が、それぞれに苦難を乗り越えて幸せを掴んでいく姿というのを、間近で見たり、遠くから見守ったりする・・・というのが、この仕事のひとつなんだと思っています。
わたし自身も、迷ったり 間違えたり、たどり着いたと思ったら再び山が目の前に見えてきたりを繰り返して、今ようやく落ち着いたのかな という段階です。
そういった経験や身近で見させて頂いているなかで、いくつか共通点がある というのが、なんとなく見えてきました。
そんなのは当たり前のことだよ!と思われそうですが、案外と勘違いしやすく だからこそ迷いを生じさせると思っている共通点が1つあります。
それは、「人それぞれ幸せと感じたり 思う形は違う」ということです。
成功すれば、お金をいっぱい稼げば幸せ・・・といった社会や世間が唱える幸せではなく、自分が自分で感じる幸せの形がある ということ。
ずいぶん前のことですが、プライベートで知り合った方から、私も主人もその方から妬まれる ということがありました。この人 明らかに嫌な感情をぶつけてきてるよなぁ・・・と感じていましたが、そこで真っ正面から向き合ってしまうと ただただエネルギーを消耗してしまうだけなので、一定の距離を置いていました。
その方はなぜ、会っても数回程度の私たちに妬みというエネルギーを向けているのか、そのときは分からなかったのですが、あとになって、私たち夫婦がなにやら仲良くしているな という雰囲気を感じて、そこに葛藤を起こしていたようで、その方自身のプライベートは、なかなか大変な状況だったからこそのものだったと 後で知りました。
おそらくですが、自身の置かれている環境と 私たちの環境を比べて葛藤を起こしたんでしょうね。
人と比べる ということは、育てられていく過程の中で環境から植え付けられてくるものだと思っているのですが、それは兄弟間で、友達の中で、あの子は成績優秀だけどうちの子はテストの点が悪い だの、あの子はかわいいし美人だけど、この子は鼻が低くて美人じゃない といった、人と比べてみて劣っている部分をクローズアップする ということを、多くの人が少なからず経験してきていると思うんですよね。
私もさんざん そんな経験をしてきましたよ(笑)
それは、両親や学校 教師など まだまだ柔らかい心を持つ子供の頃に受けてきましたが、私とクラスメイトの容姿を比べてバカにした数学の教師も、私の両親もまた、私と同じように比べられながら育ってきたんですよね。
だから、比べることに対してためらいもなければ、それはあくまでも自然なこと と受け止めている。
でもまあ、よく考えてみれば 人と比べるということ自体が、なんだかおかしなこと 不自然なことだということは分かるんですよね。
私は県外に旅行に行くと、その土地の食事や建築物(寺とか神社)を眺めることも好きですが、いちばん好きなのは そこに暮らす人々を眺めることなんです。
ひとりとして同じ顔、表情、体つき 服装をした人はおらず、自然に溢れるカラフルなカラーのように、それぞれが自分らしさや個性を放って ごく普通に暮らしています。
同じピンク色の花びらをつける桜でも近づいてみれば、ひとつずつその色合いに違いがあるように、同じ人間でも色合いはそれぞれに違う。
微妙の差であれ、違いを生まれたときから放っている私たちを同列に並べて比べること自体が、すでにナンセンスなんだと思うんですよね。
たったひとりとして同じ人がいない、唯一無二の存在である私たちが人と自分を比べてみても、あまり参考には出来ない情報のみが弾き出されるだけなんです。
ということは・・・・。
それぞれが感じる幸せだって違うはずです。
だって、唯一無二の存在ですからね。
人と比べることや、自身が感じる幸せは人と違うんだと言うことに気づき、良いも悪いも自分だ、ということに気が付いたひと というのは、幸せを掴んでいきます。
私が今まで、この仕事を通して出会った自身の幸せを掴んだ人の特徴として、幸せの形は人それぞれだということを分かっている人であるということは、紛れもない事実だということです。
そして、幸せを掴んだ人 というのは、人と比べてしまうことから起きる葛藤や苦しさ、辛さから目を反らさず、逃げず、立ち向かっていた人たちだった ということも言える事実です。
「どうして私はこんなにツイてないのだろう・・・」
「なんで、あの人だけ幸せそうなの?」
「なんで、私だけ嫌なことばかり起きるんだろう・・・」
私でもこんな言葉を吐いた時期があります。
光のない真っ暗なトンネルを歩き続けた経験がいっぱいあります。
でも、レイキをはじめとしたヒーリングを私に伝えてくれた先輩たちが、そんな真っ暗なトンネルを歩く私を見放さず、ヒーリングいうジャンルが持つ叡智がグラつく私の足をサポートしてくれました。
愛ある 優しさ溢れたヒーリングは、トンネルから抜け出そうと思いながらも 逃げたいと思う私の弱さを癒し、ちいさな勇気を讃えてくれました。
現在はもうヒーリングはされていない かつての仲間ですが、その方がよく言っていたのが、「ヒーリングを通して自分自身というものが見えたとき、そいつは小さくて足もまだ弱く ひとりで歩き出す勇気もなくてがたがたと足が震えているような 生まれたての子鹿のようだ」 と。
ひとりでは頼りない。
ひとりでは歩くことなど出来ない。
人と比べられることで自身を無価値だと思い 力などないと思いこんできた人間が、ヒーリングを通し、優れたヒーラーの手を借りて、自分の中にある力やパワーに気づいたとき。
震える足が自分の人生の一歩を踏み出す。
まだまだ震える。怖くて仕方ない。
けれども、自分の力を知った今、留まることは出来ないと言わんばかりに未知の世界の扉を開く。
ありがたいことに私は、仲間の中でも また仕事を通して出会う生徒やクライアントさんからも、そんな姿を見せて頂きました。
私は癒しのきっかけを作ったに過ぎず、その小さなきっかけを大きなチャンスにして 自身の中にあるパワーを発揮して人生を切り開き、幸せをもぎ取っていく姿は、爽快で清々しく、とても凛々しい。
自然界をよく見てみてください。
道ばたの草でもいいです。
みんな違う顔をしてます。
宇宙に目を向けて、太陽系の惑星を眺めてみてください。
どの惑星もみんな違います。環境も表情も持っている重力も、 なにもかも。
太陽系の仲間である星々も私たち人間にも
太陽系の中心になっている太陽から降り落ちる光、エネルギーはまんべんなく私たちを照らしてくれる。
ということは、違った私やあなたが眩しい光の中で存在していて、それは、互いに違いがあったって、なんら問題ないですよということ。
そんな顔の、そんな性格の、ダメな私も 良いあなたも、誰もが そこにあるべき存在だということなんだと伝えていると 私は思うんですよね。
この世にあなたが必要!
だから 生きている。
比べなくていいんですよ。
だって、最初から違うんですから。
幸せだって、人と同じなんてことはないんです。
だから、人の幸せそうなところをみて自分と比べる必要もないんですよね。
比べなくていいと気づいた世界は、優しくて温かい ですよ。
ファ.ーストノエル
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