
オーラ視とヒーリング能力
介護を仕事にしている友人から、よく聞くのが、見知らぬおじいさんやおばあさんから声をかけられる、という話。
普段、おじいさん、おばあさんを相手に仕事をしているから雰囲気が伝わるんだろうか?と不思議そうにしていましたが、確かに、介護やヒーリング、看護師といった人に奉仕をする仕事などに就いている方のオーラは、ハートチャクラのグリーンになっている方が多く、オーラをその方の優しい空気感として感じて、話しかけてくる方はいるのではないかと推測しています。
実際に私もスーパーで話しかけられることが多くて、あるとき、ハム、ソーセージの売り場で商品を見ていたら、おなじように商品を見ていたおばあさんから、ごくごく自然なかたちで
「これって、焼かなくても食べれるかなぁ?」
と、聞かれました。
一瞬、私の知り合い!?と思っちゃうほど自然な声かけに戸惑いましたけど、
「これは・・・焼かないと食べられないかなぁ」
と、答え、おばあさんがひとり暮らしであること、火を扱うことが怖いから できるなら火を通さないでもいい食品を探していること を、その数分の出会いの中で聞いていました。
つい先日も京都でランチをしていたときも、見ず知らずのデザートをゆっくり食べているおじいさんに呼び止められ、
「え?」
と、立ち止まったら
近所の知り合いかのような笑顔で
「今日は何曜日だい?」と聞かれ、
「今日は月曜日だよ」と私も笑顔で答えさせていただきました(笑)。
人の真顔というのは、けっこう怖いものです。以前、営業職の補助的な仕事をしていたときに、真顔は怖いから笑顔を忘れるな!と何度も怒られましたが、私の顔もやはり、笑わないと怖い・・・というか、近づきにくい雰囲気をかんじると若い頃からよく言われました。
近づきにくい雰囲気というワードの中に、頭がよさそう というものがあって、学歴が高いわけでもないのになぁと不思議でならなかったのですが、30代のときにチャクラヒーリングの勉強を通して、その理由を知りました。
学歴が高い、勉強が出来る、ということと、賢いというのは、ちょっとニュアンスが違いますよね。
賢いというのは知恵が回るという表現ができますし、相手のことを鋭くキャッチして気を回すことが出来るといった、生きていくうえで武器にもなる 賢さ、機転のよさと言えるかと思います。
真顔が怖い、近づきにくい雰囲気と頻繁に言われていた頃のオーラ写真が残っているのですが、その写真を見ると、オーラの大半が第6チャクラのブルーになっているんですね。
観察力や理解力、勘の良さなどを表すチャクラで、この部分が過剰になると考えすぎの傾向が出てきます。当時の私もやはり、考えすぎの傾向が強く出ていて、まだ形にもなっていない将来のことを考え、ありもしない不安や心配をもっていた時期です。
なので、私の印象を”頭がよさそうだから近づきにくい、話が合わなさそう”という周囲の人たちの感想は、オーラを見ているわけではないけれども、オーラを私が持つ空気感と感じ、キャッチしていたと言えそうですよね。
今はもう、オーラをファンタジーの世界のものとして見るよりも、人間の身体が放出している周波数であると認識し、それを健康や人生に役立てていこうとするセラピストやヒーラーが多くなっていると思いますが、それでも、いまだにオーラを特別視する傾向というのはまだまだ残っていますよね。
今はもうあまり出会うことはないけれども、少し前は、自称オーラが見える方が訪れて、私のオーラを視てくれる方もいましたけど、勝手にオーラを覗き見るということは、勝手にその人の家の中にはいるようなもの ですから、その行為は恥ずかしいことなんですね。
オーラを視ることができることで、私は特別な存在だと公言する方もいましたけど、オーラが視えだした頃というのが、ヒーラーにとってはちょっと気をつけたほうがいい時期(勘違いを起こしたヒーラーになりかねない)で、そこを通過すると、オーラ視が特別ではないことに気がついて、さらにヒーリング能力に磨きをかけようと地に足をつけ、努力できるようになります。
確かに、ヒーリングをお教えする講師を仕事としている場合、オーラが視えたほうが便利だということはあると先生から聞いたことがあります。
私も一時、オーラがよく視える時期があって、それは主にレイキのアチューンメントの時に起きたため、自分の身に起きていることは脳の錯覚ではなくオーラを視ているのかを検証すべく、2年から3年ほどかけて記録したことがありました。
しかし、それを通過しておかしな言い方ですが、視えることに慣れて記録の結果をおおよその段階で得たときに、確かにオーラが視えることは講師にとって便利であり、有利に働くこと(生徒の状況を把握して的確にヒーリングが出来るというメリットがある)があると思いましたけど、それと同時に、オーラ視以上に大切なことにも気づいたんですよね。
それは、私の前に座っている生徒、クライアントそのものを、私の目で見ること。
生徒やクライアントの話に耳を傾け、心を向け、しっかりと肉眼で見つめること。
そのことに気づき、オーラ視を意識しなくなったら、以前よりもオーラを視ることが少なくなったのも驚きのひとつですけど、面白いのは、オーラ視ができなくなっていっても、ヒーリング能力が落ちることはなかったという結果でしょうかね。あがったどうか私には分かりませんが、さがっていないことだけは事実です。
ある一つの現象に囚われすぎるのもまた、バランスを崩すという現象を起こすことになるということなのかもしれませんね。
京都のとあるカフェで曜日を訪ねてきた、おじいさん。
大きなアイスクリームが乗ったクロワッサンを食べていたのですが、とてものんびり食べていて、アイスが溶けちゃうよーって思うぐらいだったんですね。
私が滞在している約30分の間に、ようやく半分食べれたようで、まだしっかりデザートが残っていました。
あのあと、全部 食べれたのかなぁ・・・・なんて、今になって考えたりしています(笑)。