わたしのしあわせは、私が決める

自分をしあわせにするのも しないのも自分次第

毎日がしあわせだなぁ~とか、夜寝る前にお布団の中で今日も楽しかったなぁ、しあわせだなぁと思って生活している私ですが、しあわせを感じる体質になる以前は、悩みと不安、心配事や緊張の中で暮らしていました。

 

とくに、無意識下の緊張感というのがこれまた強くて、むかしをふと思い出すと、あれってけっきょく、緊張していたからこその出来事じゃん!みたいな、過去への突っ込みをすることがあるぐらいです(苦笑)。

 

現在はしあわせを感じる体質になってはいますが、だからといって、ラッキーがずっと続いている というわけではないのです。

 

もっといえば、しあわせを感じることと、日々起きる出来事というのは、イコールではないし、ここを一緒に考えてしまうと、しあわせについて ちょっとズレが生じると思っています。

 

しあわせを感じる体質 というのは、ほんとに些細な出来事でも、嬉しいなと思えたり、私はラッキーだったと思えたり、良くないことが起きたとしてもそれを良い方向へと転換できること なんですね。

 

チャクラでいうと、第3チャクラという黄色の波長を放つ、みぞおちの辺りにあるチャクラが活性しているときに、しあわせを感じる体質になっている場合が多いです。第3チャクラは楽しみを拾うのが上手になるチャクラと言われますが、まさにその通りのパワーを持つチャクラ。

 

第3チャクラが活性していることもあり、日々のなかにある いっぱいのしあわせを感じている私ですけど、だからといって、嫌なことがひとつもない というわけではないのです。

 

環境や他者が「あの人の第3チャクラは活性化しているから、嫌なことは与えないようにしよう、しあわせばかりを与えよう」

なんて、都合のいいことは考えませんから、当然のように、私にも嫌なこと、楽しくないことも起きるわけです。

 

今年の春頃だったでしょうかねぇ。

私にも表情が曇ることが起きたんですね。

 

正確にいうと、今まで これは私のやるべき事だと思っていてやっていたことが、徐々に苦痛になってきたんです。

本来なら、それは私がやりたいことではない事だったのですが、”やるべき事”とあえて、○○べき~とつけたように、社会的な地位や伝統、教育などから、私がやらなければならないと思い込んでいたことを、なんの疑問も持たずにやり続けていたところ、ついに無意識の私が”我慢の限界”に達し、「こんなこと、やりたくなーい!」と叫びだしたわけです。

 

思い返してみれば、その やりたくないことをやろうとすると、身体に不調が起きたり気分が落ち込んだり、時にはイライラしてみたりして、おかしいな?と思う予兆はあったんですね。でもまあ、やるべき事 という思い込みは強く、わたし自身はまったく意識できないままでした。

 

そんなときに、普段から身につけていた ヒーリングエッセンスのペンダントか濁る という現象が起きたんですね。本来なら透明な液体であるヒーリングエッセンスが、白濁としたのに驚いて、作成者であるヒーリングの恩師に連絡したところ、

 

「ほほー!これはなかなか面白い現象。いったいなにがあったの?」

 

と、聞かれたので、そういえば・・・という感じで、やるべき事がありましてそれをやろうとするとなんだかイライラしたり、落ち込んでみたり・・・でも、やらなきゃって思ってたから無理していたかもしれない、と、ここでようやく気がつけたんです。

 

結論としては、白濁したペンダントは私を守り そのお役目を果たしてくれたということでした。(不思議に思うかもしれませんが、ヒーリングエッセンスやグッズって思わぬ現象が起きることがあります)

 

そのときに、ヒーリングの恩師から言われた言葉が

「自分のしあわせは、自分で考えましょうね」

 

という、優しくもどこか厳しい言葉でした。

 

そうです。

自分をしあわせにしてあげられるのは、自分しかいないということなんですね。

 

それは、自分を犠牲にしても、しあわせにしても、なにをしても、それに対する責任、結果はすべて自分に返ってくるということ。

 

生きている間に他者や環境から植え付けられた 思い込み というのは、なかなかやっかいなもので、それは強い念のように心の中に住み着き、無意識のうちにその念を体現しようとしてしまいます。

 

私は、そのやるべき事を実は一度、自らの手でハズしたんですね。

これは、私がすべきことではないと足首に絡みついた鎖を千切ることができた。

 

なーのーに!!

なぜか、また鎖を自ら拾ってきて、自らの手で足に巻いている(苦笑)。

あほか!自分!!(苦笑)

 

これは、思い込みのひとつなんだろうと思いました。

 

だからこそ、恩師から「自分のしあわせは自分で考えてね」と言われたんですよね。

ふらふら~と鎖に近づき手に取って、足に巻いている私を守るために、濁ってくれたヒーリングエッセンスに、ごめんなさいー!ありがとうー!と思わず声をかけたほどの気づきでしたが、自分のしあわせは、誰もなにも叶えてはくれないという、厳しい現実と責任を実感した出来事でした。

 

しかし、自分をしあわせにすることは厳しいことですけれども、それはある意味の自由を手にする爽快感も同時に存在するものです。

 

自分で決める ということは厳しいけど、自由。

 

私はこんな人生を歩きたい!こんな生き方をしたい!

私は、私のために生きたい!

 

誰も、なにも、それに対し異を唱えることはできないはずなのに、異を唱える環境や他者がいるわけですね。しかしそれもまた面白いもの。異を唱えられてはじめて気づくこと、経験できることもありますから、それらをすべて含めて、生きる醍醐味だと私などは思っているんですけどね(笑)。

 

私のように、足かせを自らの手でしやすい人や、本当の自分がやりたいと思っていることがよく分からない、判断つかない人は、こんな方法をとってみるといいかもしれません。

 

これは、私がよくやっていることなのですが・・・

 

なにかをはじめようと思ったり、選ぼうとしたときに、いくつか選択肢がでてきたとしますよね。

 

Aという品物と、Bという品物。さあどっち?となったときに、おそらく脳みそがあれこれとおしゃべりしながら選択をすると思います。

 

私だったらAだけど、Bは家族も喜ぶかもしれない、とか。

Bもいいけど、Aはあの人が喜びそう!私もAだったら納得いくし・・・みたいな。

 

そしたら、そのおしゃべりの間に「本当の私ならどれがいい?」と割り込んでいってみてください。

 

本当の私の声は聞き慣れないと なかなか聞き取れないほどの音量です。

自分をごまかしてきた人ほど、その声はとてもちいさい。

なので、注意深く、話すのが苦手な子供のお話を呼吸の音にすら気をつけて耳をそばだてるように、あなたの声に耳を傾けてください。

 

そうすると、徐々に本当の私がいっぱい話をしていることが分かり、よく聞こえるようにもなります。

 

そうすると、毎日しあわせだなぁって暢気に思う、じぶん自身になれると思いますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ファーストノエル

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