他人を気にしない”生き方”

人はそれほど、他者を気にしてない

先月、またひとつ年を重ねてもういい歳のはずなのに、わたし自身も知らなかった”じぶん”が突如に現れて、気づきが起きる という現象が続きます。

 

レイキをやっていると(レイキを身体に通しているレイキヒーラーや、レイキホルダーのこと)そういった意識や精神の変化、進化といったものが長い時間をかけて起きると言われていますが、まさにその通りだと己の身で実感しています。

 

これが、心も体も元気で、しかもまだまだ新芽のように柔らかい子供や若者であったら、どれほどの成長が見えるのか・・・。過去の若かった自分を思い出してみても、その成長は、痛みを伴うほどに大きかったり素晴らしかったりすることは、いともたやすく想像できるもの。

 

先日、離れて暮らす娘から、サークルの仲間から「怖い~」と言われてショックを受けたというメールをもらいました。

 

見た目は物静かな日本人形的な、おとなしい雰囲気のする彼女ですが、見かけとはまるで違うものを持っていることは親も承知をしているので、なにがあったかは想像が付くのですが、それでも・・・と思って聞いてみたところ、

 

遠慮なく自分の意見を言ったら怖がられた、ということでした。

 

こんなことを言ったら嫌われるかな?とか、嫌がられるかも?といったことを、彼女は、遠慮することなく言うときがあり、そのズバッ!と言う姿勢やら言葉が相手にとっては意外だったため、怖がられたということでした。

 

人間はおおよそ外見で人を判断しますから、外見と中身のギャップを知ると衝撃を受けるというのもありますが、それにしても、普段、口数が多いわけではない娘から意見されて、まあびっくり!であったのは、まあ、分かります(苦笑)そりゃ、怖いよね(苦笑)

 

そんな彼女も、自分の本性、本来持っている自分のエネルギーに気付きながらも、それを外側に出すまでには、かなり時間がかかりましたし、今でもなお、すべてを出し切っているとは思っていません。徐々に、徐々に、自分らしい生き方、自分の運転の仕方を学んでいくのが、10代、20代ですからね。まあ、いろんなところでじぶんや他者にぶつかりながら、自分の運転を学んでいくんだと思います。

 

 

「所詮、自分は”じぶん”としてしか生きられない。」

 

娘の経験した話から、そんなことを思っていました。

 

どこか諦めに近い気持ちで私などはそう思うのですが・・・年を重ねるということは、肉体の衰えが起きることですから歓迎できないことだと、つい最近まで思ってましたけど、なにかこう、ちょうどいいぐらいの”諦め”ができるようになるのは、歓迎できますね。

 

娘も自分の気性やエネルギーを思う存分、発揮できないのは、他人の目が気になるからなんだと思うのですが、わたし自身、他人がどう思うか?ということが気になって仕方なかった時期があったんですよね。

 

それは今でも、どこかにちいさく残っていて、わたし自身が持っている社会的立場を考えて優先しようとするときや、私の中で、”良い人”に見られたい、認められたいという承認欲求が動いたときに起きているんですよね。

 

他人が見た私は、きっとこんな感じだろうから、それに沿うように動こう、会わせていこう、そうすれば相手は不快に思わないし、私を嫌いにならない。

わたし自身は”それをやりたいとは思っていない”にもかかわらず、”他人が望んでいる”のだから、私はその役割を果たす。

 

という心理が働くんですよね。

 

さんざん、何十年とこの心理と付き合ってきたので分かることですが、こうやって他人の目を気にして、他人を満足させるような動きをすると、本当の自分、ってやつがヘトヘトに疲れちゃうんですよね。

 

もう声が出せないぐらい疲弊して、最終的には「わたしっていったいどんな人間だったっけ?」と自分が分からなくなるぐらいに。

 

あるとき、そんなヘトヘトに疲れ切った自分を発見して、

 

「こんな私にしたのは誰だ!」と怒りが沸いてきたことがあったのですが、その怒りに対して返ってきた答えは、

 

「あんただよ」

 

でした。

 

自分らしく生きる勇気がだせないあまり、他人の目を気にするあまり、いちばん大事な自分を傷つけてしまっていたんですよね。

 

自分としてしか生きられないのは、至極当たり前のこと ですよね。

自分以外の人間になれるなんていうことは、あくまでもフィクションの世界。

 

顔を変え、身体を変え、戸籍まで変えて全くの別人になるなんて、到底 できることではありません。

 

このなんともガッカリな自分、いくら経験しても 学んでも、おなじことを繰り返す自分に、丁度いい諦めがやってきた今は、自分らしく生きるとかいうそんな威勢のいい言葉ではなく、所詮は自分としてしか生きられないからなぁ~・・・という、諦めの小さな溜息がくっついたセンテンスが浮かぶんですよね。

 

弱い自分やダメな自分というのがでてくると、どうしても、他者の良さがまぶしく思え、相手が光れば光るほど、自分自身は暗闇に包まれる感覚って出てくるんですけど、でもそれは、他人ばかりに目を向けているから なんですよね。

 

ダメで弱い自分に目を向けてみると(それはひどく痛いように思うけど)、他者に感じるほど強い光じゃないかもしれないけども、ほんのりと温かい光が灯っていてくれるんですよね。

 

光がない人 というのは絶対にこの世にいません。

生きている人はすべて、光をかならず持っていますからね。

 

ほんのりと なのか、それとも強烈なのか・・・または青色なのか、それもとオレンジ色なのか、どんな光なのかは分かりませんけど、私は私、もうそれでしか生きられないのだから、他人になれはしないのだから、開き直って自分を生きるしかありません(苦笑)。

 

そんなふうに、いい感じの のんびりした諦めがやってきたら、他人をほんとうの意味で気にしなくなりました。

 

年齢がそんな諦めを連れてきてくれたんだろうなとも思うのですが、まだそんな年齢ではないし、どう諦めていいか分からないという場合は、こう思うといいですよ。

 

他人はそれほど自分のことを気にしていない。

むかし、ヒーリングの先生から教えてもらった言葉です。

 

他人よりも、いちばん大事な自分のことを気にして、じぶんをしあわせにすることに全力をかけたほうが、人はしあわせになれるようですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ファーストノエル

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