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人生をゆたかにするひとつの方法

自分を偽らず、周囲に悪意を放たず

ちょうど1年前、沖縄の大石林山に行っていました。駐車場から大石林山の入り口へ向かうクルマが、四輪駆動じゃないと坂道を登っていかないほど道がぬかるんでいるほどの雨でしたが、そのおかげで大石林山を貸し切り状態で歩けました。

ここでは不思議な体験もして思い出に残る沖縄旅行のひとつですね。

 

自分の人生をしあわせなものにしたい、ゆたかにしたい。

 

そう願うのは現代の人たちに限ったことではなく、いつの世でも誰もが願うことでしょう。そして、どうしたらそうなれるのか、模索をし続けてきたのも人間の特徴のひとつかもしれません。

 

最近、こういった人生をゆたかにする方法 というものに、師と呼べる人たちから教わらずとも おのずと気づいたひとというのが増えている気がしているのですが、それはいわゆる”スピリチュアル”な視点から得た発想ではありません。

 

私はリアルを大切にする人間であるし、スピリチュアルについてマニアックなほどに知っているわけでもないので、あくまでも私の周辺、周囲の様子からそう思ったことなんですよね。

 

スピリチュアルなことを全く知らない、普通に働くサラリーマンや自営業者、主婦・・・という、ごく普通に生きる人たちから、”実はとても当たり前な 人としての顔であるものを、いつのまにか忘れてしまったこと”に自ら気づき、それらについて、自分の言葉で語る。そういう人たちに多く出会うからです。

 

こういう動きは数年前には感じられないことでした。

いや、もしかしたら、私の周囲では起きなかっただけで、この記事を読んでいる人の周囲ではあったことかもしれません。ということは、わたし自身が 人生をゆたかにするひとつの方法に気づき、それによって、周囲の変化に気づいただけと言えるかもしれません。

 

わたし自身は、師と呼べる人たちから聞いてきたことであったはずなのに、脳は体で経験したことを追いかけるようにして学ぶように、知識としてはあったものの、経験するまでは本当の理解をしていなかったようですね。

 

経験しているってことは、久保田はゆたかになってるの?って思われるかもしれませんね。

 

ゆたかである ということの解釈の仕方によって、その度合いは個人差が出来るかと思いますが、私は私のことを十分に満たされている と思っています。

 

アラブの石油王ほどお金は持ってませんし、高級車を乗り回したりハイブランドを持ち歩いているわけでもありません。スーパーではエコな商品をこぞって買いますし、安いお魚のあらを創意工夫で調理することに意義を感じる人間です。

 

でも、私の人生は満たされている、ゆたかであると言えるんです。

 

目に見えない物質化していない、私たちの意識や精神という、いわゆる”心”に、過度のストレスや不安や心配がなく、自分がやりたいと思うこと、好きだと思うものをやり、好きな物、好きな人たちに囲まれて生活できているからこそ、ゆたかであると思っているんですね。

 

精神的に満たされていることがしあわせで、ゆたかであると言えるのか。

それとも、物質的に満たされていることがしあわせなのか・・・。

 

むかし、とある経済学の研究者に、どちらがしあわせだと思うか?と質問をしたら、それはいまの経済学では答えが出ていないものだ と言われました。つまり、誰もまだそれに対する結論をだしていないということです。

 

ただ、私が思うにすべてはバランスで成り立っていることなので、精神的な部分でも物質的な部分でもバランスがとれていることが、おおよその人間が「しあわせだ」「ゆたかである」と思える状態であると考えています。

 

私は10代の頃、両親が離婚をしたあと母は仕事のために週末は家にいないことがほとんどでした。その寂しさを母は埋めるがごとく、週末は豪勢な食材が冷蔵庫に詰まっていました。ステーキにマスクメロン、高級ないちごにデザートといったものが詰め込まれていて、それを兄と二人、自分たちで調理をして食べていました。

 

でも、美味しいとは思わなかったんですよね。和牛のステーキも飽きるよねって兄と笑った記憶がありますから(贅沢な話なんですけどね)

それよりも、家族4人で分けた1パックの納豆の方が何十倍も美味しかったと思うんです。

 

これはどういうことか・・・・それを考えると、私はひとまず飢え死にをする確率はかなり低い物質的に豊かな日本においては、目に見えない意識や精神という心の部分が満たされることが大切なことだと思えるんですよね。

 

「少々、あほな子供でもウチにいて笑ってくれてたら嬉しいですよ」

 

っていう、お母さんにお父さん。

 

「贅沢なんてできないけど、お互いが元気に一緒に暮らしてることがしあわせ」

 

という、主婦。

 

どの言葉にも、物が豊かにあることではなくて、意識や精神に温かさや優しさがこもることのほうが、わたし自身をしあわせにしてくれる ということを伝えてくれているんですよね。

 

意識や精神にストレスがかかるのはこの三次元で 朽ちていく運命である肉体を維持するためには避けられないこと ではあるんです。

 

仕事をしてお金を得て、肉体を維持する食べ物を買い、洋服を買い、住まいを整える。これらは泥臭い”生きること”であり、誰もが行うものです。

 

ですが少なからず、この生きるために起きてくるストレスを軽減することは誰でも出来ることなんですよね。

 

実はそれが、人生をゆたかにするひとつの方法です。

 

その方法としてまず、自分を偽らないこと。

 

他人に嘘はつけても自分自身に嘘はつけません。

本当は嫌いなことでも、私は好きなんだ!と言い続ければ、その嘘は一時、自分を騙してくれます。でも、身体はその嘘を見破ります。嫌いなものを好きと言い続けた嘘が身体に不調として現れてきます。

だから、自分を偽ってはだめなんですよね。

 

そしてもうひとつ。

周囲に(宇宙に)悪意を放たないこと。

 

ごく当たり前のことですが、人を貶めたり騙したりといった行為をしてはいけないんですね。大きな事も小さな事もすべて。

そのときは、相手を騙せたかもしれません。周囲にもばれずに自分のメンツは保たれたなんてことは日常生活で割とよく起きることですが、巡り巡って、まったく違う形で、自分が放った悪意が自分のしあわせを妨害してきます。

 

実際に、私はこの例をよく見てきました。

優しい家族に持ち家、物質的にも恵まれてどこから見てもしあわせそうであるはずなのに、例えば家族のだれかに不都合が起きているので、どうしたのかな?と思って話を聞いていたら、人を騙す、貶めるという行為をしているということがあるんです。しかも、その行為に対して反省もしておらず、特に意識もしていない。

 

宇宙に悪意を放たないといった話は、ヒーリングの世界に入った頃から師という立場の方たちからよく聞いている話でしたが、実際に自分が経験をしたり、周囲でそういった出来事を見ると、これはリアルな法則なんだと思わずにはいられないんですよね。

 

自分を偽っていきたくない。人生をゆたかだと思えるものにしたい。

言葉では分かっているけれど、実際にどういうことなのか分からない。

 

そういう方には、私はレイキを持つことをお勧めしています。

わたし自身が自分を偽り、ゆたかである現在とは遠く離れた位置にいて、言葉では分かっていても本当に理解したとは言いがたい状態であったものを、レイキは、冬に降り積もった雪が春の日差しにゆっくりと溶かされていくように、徐々に気づいていきました。

 

歴史のなかで賢者と呼ばれる人、悟りを開いた人というのは、真理を知るために長い年月をかけて修行をして自身を磨き上げていったように、本当の自分が言う、本当に好きなこと、やりたいこと、生きる喜びという扉を見つけるのには、本を一冊読んだら出来る!とか、一日で資格を取得できる!というもので出来るものではありません。

 

喜怒哀楽、さまざまな経験をし、そのひとつひとつを丁寧にすくい上げ間違えたら反省をしという、長い時間の中で気づきを得てはじめて理解できるものです。

 

その長い年月の時には修行のように思える過酷なものも、難解に思える問題も、宇宙エネルギーと言われているレイキをそばに置き、使っていくことで、勇気がもらえたり、ときには癒やされたりしながら自分の手でつかみ取っていけると思っているんですよね。

 

誰だって、ひとりじゃ辛いんです。

でも、なにか手助けをしてくれるものがあれば、人は歩いていけます。

 

 

 

 

 

 

 

 


ファ.ーストノエル

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