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大切なひとのために 出来ることはある

ヒーリングを学ぶ という選択

私事ですが、先日、主人の父が他界しました。約1年前に病気が見つかり 辛い治療に耐えながら頑張っていましたが、今年に入って様態が急変し旅立たれました。

 

2年前の祖父の他界の際にも感じた思いや、言葉にならないような感情と 事務的に進めていかなければならないスケジュールで、1ヶ月無休で働いたかのような疲労感で2日ほど、ぼうっとする時間を過ごしていました。

 

そんな中、実家で「看取り先生の遺言」著者 奥野修司氏を見つけて読んでいたのですが、本の中で  ”死んでいく家族のとなりに座って、何もせずに見ているほど辛いことはない” を読んだときに、思い出したのがヒーリングのことでした。

 

「看取り先生の遺言」ですが、簡単に内容を説明すると、肺がんを専門に外科医をされてきた岡部医師の、末期ガン患者のために在宅での緩和ケアを専門に行う医者として活動されてきた経緯と、ご自身も癌を患い、闘病から最期までを記したもので、誰もが迎えるはずなのに、向き合うことを忌み嫌う 死の迎え方について、看取りを行ってきた医者の視点から書いた良書です。

 

私は個人的に、ひとの最期について興味があり オランダの安楽死から緩和ケアについて書かれた本などを読んでいるのですが、そのきっかけになったのは老衰で亡くなった祖父の介護でした。

 

病気ではない老衰においては、医者は治療することが出来ませんから祖父がいくらかでもラクになるような処置がされる程度でしたが、いつも通りのことができなくなった祖父は、自分は何の病気なんだ?と家族に尋ねたり、病院へ連れて行ってくれと言ってみたりと、自分自身が死へと向かっていくことの不安感を見せることがありました。

 

私は元々、福祉施設で働いていたこともあって人に触れることに抵抗がなかったり、ヒーリングを仕事にしていたこともあって、不安がる祖父に触れて、足をマッサージしたり、レイキヒーリングをしていたのですが、私が祖父の介護をしていると知った友人から、「よく出来るよね、だって自分の実のおじいさんじゃないでしょ」と驚かれたことがありました。

 

日本人は欧米の人と違って人に触れることに慣れていないので、私が抵抗なく祖父に触れていることに驚いたようなんですね。私だったらできないよ!と言われ、「へえ、そうなんだぁ」と思っていたぐらいだったのですが、実は、この祖父に触れるということが、本の中でいう「死んでいく家族のそばにいて何も出来ないのは辛い」が、さほどなかったことに気づいたんですね。

 

この一文には続きがあり、見ているだけで何も出来ない辛さから、家族は救急車を呼び患者である家族を病院へ連れて行くしかないと、岡部医師の言葉は続くのですが、病院、医者というのは患者を生かすことを目的としているので、死に逝く患者の身体にさまざまな治療を施しますが、それが逆に患者を苦しめ、本来なら人間は穏やかな自然死ができる能力が備わっているのに、治療がそれを阻害している、と岡部医師が本の中で述べているんですね。

死んでいく者に医術は役に立たないとも、外科医である岡部医師ご本人が自らおっしゃっています。

 

老衰もまた医者には治せないもの、人間が自然と寿命を迎えるものですから、医術はさほどに役立ちません。

 

しかし、だからといって家族がなにもできないのか?といえば、そうではありません。

 

祖父の介護から看取りを通して、私が結果として残せたこと というのは微々たるものでした。

 

老衰であることに向き合えず不安がる祖父には鎮静剤が与えられて、そのうち本人も勘づきはじめたのか、病院へ連れて行けと言わなくなったかわりに、自分の戒名を考えたと言って家族に伝えたりしているうちに、眠る時間が多くなりました。

 

そのあいだにも、足をマッサージを午後の日課にして、マッサージをしながらレイキを流したり、ストレスを感じる脳にレイキを当てたりしてきましたが、これといった目に見える結果は微々たるものの、医者ですら診ることの出来ない老衰、死へ向かう家族に、レイキヒーリングをしてあげられたことは、わたし自身や家族の慰めになったと思っています。

 

もうほとんど意識がない状態に陥ったときも足をさすっていたらレイキヒーリングを知らない家族も、「どうすればいいの?」と、私にやり方を聞いてきて、こうするんだよと教えたことがありました。

 

辛い思いをしている家族を、ただ呆然と見守るのではなく、みんなが何かをしてあげることはできる。

 

私がヒーリングをしていることで、自分にも出来ることがあるかもと気づいてくれたのだと思った出来事でした。

 

 

おそらく人間は、大切な人たちに向かって何かをしたいと思っていて、それができなかったときに激しく心を痛めるのだと思います。

 

怪我をした人を目の前にして、医者ではない私が出来ることはないかな?と必死に頭を巡らせ、傷口にポケットにあったハンカチを当てるように、やっぱり人間は、人を思う精神でもって、誰かのために何かをして差し上げたいと思うんですよね。

 

カジュアルレイキを考案したグランドマスターは、東日本大震災をまのあたりにし、それまで持っていたヒーラーはゆっくりと時間をかけて育てるという信念を覆し、多くのヒーラーを誕生させなければという思いに変わり、従来の時間をかけ、レイキを教えていくスタイルとは別に、短時間で学べるカジュアルレイキを生み出されました。

 

特別な技術も修行もいらない、ただ、手を置くだけで出来るレイキヒーリングは、私たちの大切な誰かのためにと思う、私たちの優しい精神のもとで、確実にヒーリングを起こしてくれるものです。

 

老衰で死へ向かう祖父自身の役に立ったことというのは、本当に微々たるものだとは思います。具体的なことはありません。医者ですら治せないものを、民間資格のヒーラーができるなんてことはないんです。

 

でも、目に見えないちいさなところで役には立っていたと思っています。

例えば、祖父の足をさすりにいくと、祖父を見守る祖母が安堵した表情で祖父の穏やかな顔を眺めたり会話を楽しんだりして、その場に穏やかな空気が流れる。

 

家族が家族を思う、その空気感は祖父に近づく死を忘れさせましたし、おだやかにしてくれたことは間違いありません。

 

それは、家族みんなの心をケアしてくれたと思いますし、なにもできないと思っていた残された家族は、祖父のためにしてあげられたという思いを持つことで、祖父亡き後も穏やかなこころで、祖父を思い出すことができたのだと思っています。

 

 

ドクターではないけれど、私たちに出来ることは、ある。

それが、ヒーリングです。

 

決して、私たちは無力などではないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 


ファ.ーストノエル

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