
気楽になるは、最高なこと
チャクラヒーリングコースの中でもいちばんオーダーをいただく、チャクラリフレクソロジー。
「もう本当に気持ちよくて」「健康診断で問題ないと言われた」などといったお声をいただいていますが、私が足に触れるとすぐに腸がぐるぐると動き出し、乾きがちだという口腔内が唾液で潤うという80代後半のお客様。
「わたしは気楽にしているから、人から見ればわがままに思われるだろうし嫌う人もいると思うの」
と、フットバスを受けて頂いている最中にそんな会話になりました。
年齢を感じさせないほどアクティブに趣味の習い事に打ち込み、興味があることならどこでも出かける素敵な女性です。
今の若い世代であるなら、自分のやりたいことや趣味を優先することがわがままな人だという考えは持ちませんが、80代という年齢のかたであるなら、そう思う方が多かったり、ご自身もそういったことを言われながら育ったことは想像がつきます。
それぞれの家庭や人には個々が持つルールや、やり方みたいなものがあって、それらのルールに他者が口出しをし「それはおかしいわよ!」なんていうことは論外、あり得ない事と思いますが、自分の価値観こそ正義!といった感覚の方はいて、自分の考え方、価値観を押しつけてくる方っていますよね。
この女性もまたそういった経験をされてきた様子で、だからこそ、気楽にやっている私はわがまま、きっと嫌う人もいるという言葉になったのだと思いました。
価値観を押しつけられてもそれに対してNo!と言える強い人ならいいですが、言われるままになり、私っておかしいのかな?人に合わせないとだめなのかな?と悩んでしまう方にとっては辛いことですよね。
私も経験があります。とくに家庭のなかでは起きることで、私のやり方と家族のやり方が違ったとき一方的に押しつけられることがあって「家庭の雰囲気を壊したくない」という一心で言うなりになっていた時期も。
でもまあ、それって決して良いことではないんですよね(笑)
片一方にしわ寄せが行き、ストレスを感じている状態というのは健康的な形ではないんです。
だからこそ人は、コミュニケーション能力で互いに話し合い、お互いが気持ちよく暮らせる状況を作り出すのですけど、そういったことが出来ない人もやっぱりいるんですよね。
そこで、自分だけでも気楽になるという方法は、実はとても簡単にストレスフリーになるやり方と思っています。
気楽という言葉を2つに分けると”気と楽”になり、これは私たちが持っている”気”とも呼ばれるエネルギーが、楽になることを表しているとも言えます。
気が楽、気持ちが楽になると言えば分かりやすいかもしれません。
ひとから嫌なことを言われたり、価値観を押しつけられそれを受け入れないと途端に悪く言われたりしても、気を楽にしていればダメージを受けることもないし、それをストレスに思うこともありません。
気楽になるということは相手に対して構えることもないし、ふわふわと漂う空気のように緊張もないわけですから、相手から悪く言われるという攻撃のようなものを受けたとしても、ふわぁ~と流されていってしまう。構えているとそれを受け止めちゃうことになるので、構えず、受け止めない。
ようは、相手にしないということですよね。
好きなことをやる。
趣味に打ち込む。
80代のこのお客様は、日々をそうして楽しんで生きていらっしゃいます。そうすることで誰かに迷惑をかけているわけでもありません。
だったら、気楽という今のままでいても良いんだと思いますよとお話しすると、スッキリされた表情で「久保田さんが言うならそうね」と笑顔を見せてくれました。
誰かに迷惑をかけてしまったときや、本当に悪いことをしたときに受け止め反省をするという事と、自分に合わない他者の考えや価値観をそのまま受け取るということは、まったく意味が違います。
誰だって夢を見ていいし、好きなことをしていい世界です。
人との違いがあるのは当たり前で、自分なりの表現、自分なりのやり方でしあわせになったり、豊かになっていい世界なんですよね。
自分がしあわせで恵まれていることが表側に出たとき、それに対して悪意を抱く他者の心理は、自分がそうではないこと、コンプレックスを抱いている裏返しなのだそうです。
本当であるならそうありたいのに、そうではない自分。嫌な自分、きらいな自分。
だからこそ、ひとのしあわせを妬むし嫌いにもなる。だからこそ、自分が持っていないものを持っているであろう人に悪意を示す。
そんな悪意を隠して、いかにも正論のように諭してくる人に会うこともありますけど、見え隠れする悪意も、私に合わない正論も、腹をたてることもなく、相手にすることもなく過ぎ去っていきますよね。
そんな私も昔は、ごりごりの価値観を押しつける人間でしたけどね(笑)
~~するべき、~~あるべきって言葉をよく使ってました(苦笑)その心理の裏にはコンプレックスもあったんですよね。自分がないものを持っている相手に嫉妬心を抱いていただろうし、ひとや社会に対しての見解も果てしなく狭かった(笑)
けれどもいつしかそんな言葉は一切使わなくなり、今は、誰かが教えてくれる別の価値観や考え方、感性をひとまずは受け止めるようにしています。それで、自分に合えば取り込むし、そうでなければ受け取ることはありません。
知りもしないのに真っ向から否定しちゃうのはもったいないことだと思うんですよね。評判が悪い映画をあえて見てみるとかね。人の評判はあくまでも他者の思いですから、私というフィルターは、どう捉えるかなんて分からないじゃないですか。
40年近く生きていると、様々なことを経験するし見解、知識も増えていきますから、知らず知らずのうちに心が凝り固まるんでしょうね。
そういった心の凝りや澱をヒーリングがほぐし、流していってくれたのかなと今の自分を見ていると思います。
気を楽にして誰に対してもフラットな気持ちでいた方が、実は今まで見えなかった良いものやしあわせに気づいて、笑顔が増えていくと思いますよ。
ファ.ーストノエル